「できない」とのつきあい方②
こんにちは。
親子の家庭教師、藤田和彦です。
前回に引き続き、
「できない」とのつきあい方について、書いていきます。
前回は、
勝負ごとやチャレンジに、
「負け」や「できない」はつきものである。
ということを、書かせていただきました。
もちろん、「負け」や「失敗」を、望んでいるわけでは、ないはずです。
でも、結果として、「できなかった」。
そんな時、その「できない」を、どうやって扱うか?
これは、自分自身の「できない」だけでなく、
教え、導いていく対象の、
お子さまや生徒さん、後輩や部下の「できない」についても、
同様に、使えると思います。
ぜひ、ご活用いただければ幸いです。
さて、本題です。
何かをやってみて、「できない」ことがあった、
失敗を経験した時に、
人は、大きく分けて、ふたつの捉え方をします。
ひとつめは、
「あぁ、自分(ないしはお子さまや部下)には、これは「できない」ことなんだなぁ。」
と、捉えるパターン。
これは、目の前の「現状」を、正しく捉えています。
現状分析として、非常に正確。かしこい捉え方、
といえるかもしれません。
ただ、
この場合、すこしだけ気をつけたいポイントがあります。
それは、
現状だけを見て、「できない」を法則化してしまいがち。
ということです。
1 たす 1 は 2〜。
と同じニュアンスで、
自分に ○○は できない〜。
という、「経験」を作っちゃう。
そうしたら、
「できない」と思ってるわけだから、
やればやるだけ、この「できない」が絶対的なルールに、なっていってしまいます。
自分のことは、もちろんですが、
他人に対してだって、同じことです。
「○○さんは、〜〜な人。」
とかって、思っておいた方が、楽だから、
「この子は、〜なところが、できない。」
と、ハナから思い込んで、接してしまいます。
結果、目の前の人は、その期待どおりに振るまってくれますし、
見る側も、そもそも「できない」を見つけ出そうとしているから、
ますます、「できない」の証拠を見つけていきます。
「ほら、やっぱりできなかったー。」
こうやって言って、自説の正しさを証明したいわけなんですよね。
なので、
なかなか、「できない」の壁を打ち破ることが、難しかったりします。
これに対して、もうひとつの「できない」の捉え方が、あります。
長くなってしまったので、もうひとつは、次回、書こうと思います。